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「スカイラインの父、V36を語る」 3~7代目スカイライン 開発責任者 櫻井 眞一郎

「自分で設計したクルマは、人がケガをする前に設計者のお前が乗れ、と言うことですよ。正直いって怖かったけど、もし間違って死ぬなら自分が先だという思いでマシンに乗り込みました。歴代のスカイラインはもちろん、レーシングカーも私が最初にステアリングを握ったんです。自分で走らせてみないと、クルマの素性が分からないし、味付けもできません」

"スカイラインの父"として有名な櫻井眞一郎は語る。

日産横浜工場 エンジン博物館にてインタビュー

1957年に発売された初代から開発に携わり、3代目から7代目まで、その開発の現場で陣頭指揮をとった。
櫻井は開発者でありながら、自ら率先して試作車のステアリングを握った。
"走るファミリーセダン"というスカイラインのフィロソフィーを確立された人物としても知られている。

2009年時点で80歳となる櫻井だが、今なおアイデアは尽きることを知らず、「思いついたことを記せるように寝床にもメモ帳が置いてある」という。

櫻井眞一郎は、サスペンション設計のプロフェッショナルである。
が、櫻井がエンジニアとして最初の一歩を踏み出した1950年代は、クルマの設計に関わっている人は少数だった。
今のように分業化されていない。
そのため設計課でサスペンション設計を行うだけでなく、実走テストなども行った。
そして2代目のS50型スカイラインで車両の全体レイアウトを担当した。
主任設計者となるのは3代目のC10型スカイラインからだ。

63年に発売された2代目スカイライン(S50系)。メンテナンスの省力化を進めた先進的なクルマで、エンジンの封印や各部の無給油化が図られていた。

サスペンションは、乗っている人からは見えないけれど、一番大事なところなんです。
市販車は乗りやすい、コントロールしやすい、安全なクルマに仕上げなくてはいけません。
私は腰まわりにセンサーを持っています。
クルマの動き、挙動を身体のセンサーで感じ取るんです。
クルマの揺れ方や加速感などを腰のセンサーで感知します。
こうあってほしいと、身体のセンサーが訴えかけてくるんですね。
コンピュータの数字を信じるエンジニアが多いけれど、セッティングはデリケートにやらなければダメです。
何となく気持ちいい、快適に運転できる、ドライブを楽しめるなど、最後のフィーリングのところは人間の感覚で決めていきました。

櫻井は開発のなかで後輩のエンジニアに独特の持論を展開している。
櫻井眞一郎がスカイラインの開発に携わっているとき、自然発生の形で『櫻井学校』が誕生した。
8代目のR32型スカイラインの指揮を執った伊藤修令や9代目と10代目スカイラインの開発主管を務めた渡辺衡三は、櫻井門下生のひとりだ。

新人が入ってくると、1週間、図面に線だけを引かせるんです。
エンジニアは、クルマの乗り手に伝えたいことが感覚的なものであっても、最終的にはそれを図面で表現するしか方法はありません。
線を引くときは、線の両端がしっかりしているのがいいんです。
こういった図面を描けるようになると一人前で、話をする図面が出てきます。
ひとりひとりのエンジニアの感覚が研ぎ澄まされるように、といろいろな難題を吹っかけました。
私の後を継いでスカイラインの開発責任者となった伊藤修令は、私にビシビシしごかれ、悔し涙を流しましたが、ものになりました。
私はクルマからの情報が多く、おしゃべりなクルマが好きなんです。
そういうクルマ造りを目指し、実行しました。
でも、自動車を設計するのは飛行機の設計(※)より難しいですね。

※プリンス自動車工業時代、飛行機の設計も行っていた。

櫻井眞一郎は、人間の感覚ほど素晴らしいセンサーはない、と常々述べている。
時代が変わっても、本質的な人間の感覚、感性に訴えるものは変わらない。
これが持論だ。

いくら時代が進んでも、人間の感覚を超えるセンサーなんてできっこないと思いますよ。
どんなにコンピュータの精度が高くなっても人間の感覚にはかなわないですね。
私の腰のまわりについているセンサーたちは、意識を持ったセンサーなのです。
意識を持つというのは、ただ判断する、というだけではなく、"こうあるべき"、"こうあって欲しい"と語りかけてくる、という意味なんです。

話はインタビューの行なわれる1ヶ月ほど前に、一週間ほどの時間を共にしたV36スカラインにおよぶ。
櫻井は、V36スカイラインを笑みを浮かべながらこう評した。

V36スカイラインは、私の腰のセンサーが気持ちいいと感じ、快適でした。
このクルマは、情報の多い、おしゃべりなクルマですね。
インフォメーションが多く、コントロールしやすい。
運転していると、揺れ方や加速度など、クルマの挙動を私の体のセンサーが感じるのですが、ドライバーズシートに座っていると、スカイラインらしさが戻ってきた、と感じますね。

V36スカイラインと過ごした1週間を振り返って語る櫻井氏。

櫻井眞一郎はスカイラインを開発するとき、ドライバーのところに70%以上の神経を遣った。
残る20%が助手席、そして最後の10%がリアシートに座る人のことを考えている。

私は、スカイラインをフロントシート優先の設計としました。
ドライバーと助手席の人が、快適に気持ちよく走れるクルマを目指し、設計していました。

V36スカイラインは後席もトランクルームも広いですね。
驚きました。
技術屋は、モノが動く、と言うことに徹底してこだわるんですよ。
このV36スカイラインは、昔のスカイラインを思い起こさせるクルマでした。
ハンドリングは大変いいフィーリングですね。
クルマの挙動はなかなかよかった。
また、高速道路を走ると、本当にいいクルマだな、と感じます。
ブレーキを踏んだときの減速感もいいですね。
よくぞここまで、と思います。
大人の味わいを感じる、いいクルマに仕上がっていますね。

と、足まわりと操縦性の良さを高く評価する。
ではVQ35HRエンジンの動力性能についてはどのような印象を持ったのだろうか。

エンジンは余裕たっぷりですね。
気持ちよく回り、しかも静かでした。
排気量が3.5リッターだから、余裕がありますね。
個人的には、もう少しパワーを抑えてもいいかなと思います。
アクセルコントロールも、少々マイルドなセッティングにしてやると、さらにいい印象になるでしょうか。
とにかく素性のいいクルマですね。

"クルマを返して時間が経った今も、とても爽やかでいい思い出として残っています"

最後のひと言は、V36スカイラインを開発した設計陣とオーナーにとって最大の賛辞だろう。
余韻を愉しむかのように、櫻井眞一郎は、運転席側のドアを閉めた。

櫻井は新型車を開発することが決まると"コンセプト・ストーリー"を書いた。
これを開発陣に話してから開発を開始した。
そうすることで、担当者の新型車に対するイメージを膨らませたのだ。
以下は6代目のR30型スカイラインの開発にあたって、イメージを表現するために櫻井が書いたコンセプト・ストーリーを抜粋したものだ。

イグニッションキーを回す。
クルマ全体に命が入った瞬間。
それは、あたかも、主人の近づいてくる足音を感じ取った馬の、目覚めのような動き
――主人の息づかい、主人の動作、主人がこれから何をしようとするのか――
まさに、愛馬が主人の意思を十全に悟っているように、
スカイラインは、あの目的地に向かって小雨の中を走り出した。

主人の意思を悟った愛馬のごとく、小雨の中を走り出したスカイライン。
高速道路に入ると、スカイラインは本来の健脚ぶりを発揮した。
いろは坂を登る。
舗装された道は、まるで滝だった。
降りしきる雨の中を、スカイラインは中禅寺湖畔に姿を見せた。
自然が「むき出し」の中で、2条のライトは闇を切り裂いていた。
あまりにも対照的な暗黒と光。
投影された道と雑木とブッシュを克服しては後へ流す。
走りを拒絶する自然に、たくましく挑んでは、荒い息づかいを後へ流す。
この躍動にはしかし、来るべき時、の期待があった。

一瞬、激しい雷鳴が光とともに轟いた。
猛威を振るう雨と風の中、スカイラインは一瞬だけ暗黒からシルエットを見せた。
白く、青く見えた雷光の下に、シルエットが浮かんだ。
頼るものが何もない大自然の激しさの中、「人馬一体」の意思には、恐れるもの、は何もなかった。

6代目スカイラインのRSと呼ばれたスポーツグレードに搭載されたFJ型ユニットは、氏曰く「プリンス時代からの飛行機屋が作った傑作、今でも良いエンジンだと思います」とのこと。

スカイラインは、フィロソフィーの強いクルマです。
性格の強いクルマだったから、今まで生き残ってこられたのだと思います。
スカイラインは、個性があり、好きな人が手放せないクルマ、古くなっても価値の落ちないクルマにしたかったのです。
私は、自然の摂理に逆らわないクルマを目指しました。
自然界には、いろいろなお手本があります。
とくに興味を持ったのは、四本足の動物ですね。
馬はよく見に行きましたよ。
馬事公苑に行ったり、東京競馬場に行ったりして、コーナーに入る馬の足の動きや障害を乗り越えるときの挙動を観察したものです。
動物は、後ろ足で、駆動力を発生させます。
アンチロックブレーキのような動きもするんです。
理にかなっているな、と思いましたよ。
だから後輪駆動のクルマばかり開発したのです。
馬はコーナーで尻が出ないように、足の動きを変えます。
これをヒントに運動性能を高めようと、リアタイヤを動かすHICASを考えました。
私は前輪駆動のクルマは1度も作っていません。
動物は後ろ足が滑ったとき、前足でも蹴って姿勢を修正します。
自然の摂理にかなった4WDを、6代目のR30型でやろうと思いました。
しかし、ハード面が追いついてこなかった。
この課題は7代目でも解決策を見出せなかったのですが、プロジェクトを引き継いだ伊藤修令が8代目のR32型スカイラインのときに素晴らしい、4WDを開発してくれました。

櫻井がスカイラインの開発の現場から退いた今も、"スカイラインの父"は、その子孫たちの繁栄を見守っている。
櫻井は愛情をこめるかのようにV36についてこう語った。

V36スカイラインに乗るとですね、もともと開発の側にいた人間として感じることがあるんですよ。
ひとつは、V36の開発チームの中に、"モノ(物体)が動くということに理解がある"(=櫻井の言う、自然の摂理に基づいた物体の動き)人間がいたのではないかということ。
もうひとつは、長いスカイラインの歴史を振り返って、"スカイラインって本当はこうじゃないのか?"という疑問を抱きながらスカイラインを作った人間がいたのではないかということですね。
そうしたものを含めて、クルマの味や、五感に訴えるクルマ造りが可能になったんじゃないでしょうか。
よくぞ戻ってきた、スカイライン、と思いますね。

自らステアリングを握る櫻井氏。
取材当日もご自身の運転で颯爽と登場。
開発の現場を離れた今も、いいクルマを見分けるセンサーは健在だ。

そして、最後に、こう締めくくった。

スカイラインは、これからも、日本の人たちを愛するクルマであってほしい、と思っています。

■プロフィール:櫻井 眞一郎(さくらい しんいちろう)
プリンス自動車工業(後に日産自動車と合併)に入社以来、初代スカイラインからその企画開発に携わり、3代目~7代目のスカイライン開発責任者となる。
その後、オーテックジャパンの初代社長を経て、株式会社エス・アンド・エス エンジニアリングの代表取締役社長に就任。

■日産横浜工場 エンジン博物館
収蔵する約300台のエンジンの中から、日産自動車を代表する28台のエンジンを常時展示。また、ゲストホールの建物は、1934年に横浜工場1号館として誕生、市内唯一の戦前期の工場事務所ビルとし、2002年11月、横浜市より歴史的建造物に認定された。

※この記事は、SKYLINE BLOGで2007年11月16日に掲載されたものを編集しています。

スカイラインの父が辿った軌跡