日本チーム参戦の記録(解説:高橋 二郎)


1973年 シグマMC73

 ル・マン24時間レースが始まって

50年を過ぎたこの年、日本から初の挑戦が開始された。加藤 真代表が率いるシグマ・オートモーティブのシグマMC73が参戦、このマシンはロータリーエンジンを搭載していた。生沢 徹選手、鮒子田寛選手、そしてフランス人ドライバーのダルボ選手の3名によって予選13位と大健闘したが、決勝ではクラッチトラブルのために敢えなくリタイアという結果となってしまった。


1974年 シグマMC74

 前年に引き続き参戦したシグマは、3名とも日本人ドライバーを擁して2度目のチャレンジ。多くのトラブルに見舞われながらも155周をクリアー、27位でフィニッシュしたのだった。

1979年 童夢 零RL

 シグマに続いて日本か2番目のコンストラクター、童夢がル・マンにマシンを参戦させた。独創的なコンセプトによって約6キロも続くユーノディエールのアクセル全開セクションにおける空気抵抗を研究したそのスタイリングは、注目を集め、その完成度は高い評価を得た。

マツダRX7 252i

 市販車を改造したクラスに参戦したのは、マツダのディーラーチームであったマツダ・オート東京のRX7だった。当時シルエット・フォーミュラと呼ばれるルーフ部分に市販車の名残を残す程度の大きな改造を施されたこのマシンは、予選を通過することが出来ずに、ル・マンの過酷な洗礼を受けた。


1980年 クレマー・ポルシェ935K3

 ポルシェを用いて毎年ル・マン参戦に情熱を傾けているドイツのクレマーレーシングが改造を施したポルシェ935を駆り生沢 徹選手が総合優勝を目指して再びル・マンへチャレンジ。予選3位と目標達成に期待がかかったが、エンジントラブルが発生し、日本人による総合優勝の夢は消えた。


1983年 マツダ717C

 1982年から開始されたスポーツカーによるレース、グループC規定(C,Cジュニア)のグループCジュニアクラスにマツダがエントリー。予選の瞬発力は無いものの、決勝では安定した走行で着実に順位をアップした。しかし、トップ10目前を走行中にリタイヤを喫してしまった。

1984年 ローラT616・マツダ

 大ベテラン片山義美選手がステアリングを握ったローラT616は、トップ10入りは果たせなっかったものの総合10位、クラス優勝を飾り、日本チームにとって初めて栄冠を手にした。

1985年 トムス85C

 日本初のF1ドライバー中嶋 悟選手を起用したトヨタ系チームのトムスは、チームにとって初参戦のル・マンで見事に完走を果たし、12位を得た。この活躍がやがて、後のトヨタによる本格的ワークス体制参戦の先駆けとなった。

1986年  日産86V

 この年、日産がル・マンへの参戦を開始した。この頃になると以前では考えられないほど多くの日本チーム、ドライバーの参戦していたが、日産がエントリーした86V、85Vのうち、85Vが日本チームの中で唯一16位完走を果たしている。

1986年 クレマー・ポルシェ962C

 メーカーとして、または、プライベート・チームという参戦の形態を取らず、ドライバーが一人で海外のチームに加わるという形でル・マンに参戦した高橋国光選手は、この年からドイツのクレマーレーシングのドライバーとして ル・マンへのチャレンジを開始した。

1987年 ザウバー・メルセデス

 1955年に起きたル・マンの大惨事以来、参戦していなかったメルセデス・ベンツのエンジンを用いたスイスのザウバーチームの一員として日本国内耐久レースで活躍していた岡田秀樹選手が参戦した。

1988年 クーガーC22

 現在F1ドライバーとして活躍している片山右京選手がフランスで武者始業をしている時代に参戦のチャンスを得た。フランスのクーガーチームの一員としてマシンをドライブしたが、彼のパートでアクシデントが発生、クラッシュして火災が発生。幸いに彼にはけがはなかった。

1990年 日産R90CP

 90年代に入ると日本のメーカーも総合優勝を実現出来得る目標といて参戦するようになってきた。この年、日産チームは、果敢にイギリスのジャガーチームとトップを争いを展開、まずはポールポジションを奪取レースの主導権を握ったかに見えたが、しかし、壮絶なレースの結末は、ジャガーのものとなった。

1991年 マツダ787B

 とうとう日本のチームが総合優勝を成し遂げた。ローターリーエンジンの独特なサウンドをル・マンのサルテサーキットに轟かせ、王者メルセデス・ベンツを向こうに回してマツダは、レース途中から首位を奪うと追ってくるメルセデス・ベンツを振り切ってトップで24時間後のゴールに飛び込んできた。


1992年 トヨタTS010

 3500cc自然吸気エンジンを用いた新たなスポーツカーの時代を迎えてトヨタが送り込んだのがTS010だった。爽快な高回転エンジンのエキゾーストノートが多くのファンを魅了した。


1994年 トヨタ94CV

1973年に日本チームとして初めてル・マンにチャレンジした加藤 真氏の率いるサードチーム(初参戦当時は、シグマ・オートモーティブ)はトヨタのマシンで念願の優勝を目前にし、ゴールを目指して走行を続けていた。。しかし、ギヤシフトリンケージのトラブルが襲いかかり、それまで維持してきたトップの座、優勝の夢は消え去った。レースは、時に非常なものなのであった。